日本で初めて身分の序列に「色」を利用したのは、603年に制定された「冠位十二階」です。
朝廷に仕える役人さんを12の階級に分け、その階級ごとに決めた色の冠をかぶるというものです。
今で例えると会社の役職(部長、課長、係長・・・)ごとに決めた色の帽子を被らせて仕事をするといったところでしょうか。
当時の冠とはこのような頭の上に載っているものです。
十二階の名称と色です。
冠位 | 色 | |
---|---|---|
最上位 | 大徳 | 濃紫 |
小徳 | 薄紫 | |
大仁 | 濃青 | |
小仁 | 薄青 | |
大礼 | 濃赤 | |
小礼 | 薄赤 | |
大信 | 濃黄 | |
小信 | 薄黄 | |
大義 | 濃白 | |
小義 | 薄白 | |
大智 | 濃黒 | |
最下位 | 小智 | 薄黒 |
十二階なので当然ですが、全部で12色となります。
ただ、白と黒の濃淡が想像しにくいですが…。
紫には紫草の根(紫根 しこん)、赤には茜の根が染料として使われていたのはもちろんのことです。
なぜ、最上位の色は「紫」なのでしょうか?
有力な説としては、染料の入手が難しく、染色に手間がかかる貴重な色ほど高い位の色に決められたようです。
なるほど、納得できる理由だと思います。
入手しにくいものほど貴重と考えるのは、古今東西どこでも一緒ですね。
ということは、当時から既に紫草や日本茜は貴重な染料植物だったということがわかります。
現代で紫草が絶滅危惧種となってしまったのも、ある意味当然なのかもしれません。
発芽率の低さは、今も昔も変わっていないんでしょうね。
自分で書きながら、うん、うんと一人で納得しております。
さて、冠位十二階とは聖徳太子の業績として伝えれていますが、果たして本当なのでしょうか。
聖徳太子といえば、憲法十七条の制定など他にもたくさんの業績が伝えられていますが、実在したかどうかも含め謎に包まれています。