万葉草ファーム/日本茜栽培

日本の伝統染料植物 日本茜の栽培

日本茜に関する歴史上最も古い発見

あくまで、私の知る限りでの話となりますが…。
歴史上で発見されている日本茜に関する最も古いものは、弥生時代後期の吉野ケ里遺跡から見つかっています。遺跡からは日本茜で染色された絹布が出土されました。

茜は「西から伝わった草」なので、草かんむりに西という漢字であると、草木染の先生に教えてもらいました。吉野ケ里遺跡は、現在の佐賀県に位置しており、まさに西方の大陸からの伝来を物語っています。

さて、弥生時代後期とは、いつでしょう?
諸説あるようですが、紀元前1世紀あたりから弥生時代の後期と呼ぶのが有力なようです。
紀元前1世紀って…2000年以上も前です…2000年前なんてイメージできない…

ということで、わかりやすい例えがないかと考えてみます。
人が子供を産む年齢は現在では平均30歳くらいですが、江戸時代以前は平均15歳という説もあるようです。
ここでは、わかりやすように20歳で子供を産むとしたらで考えてみます。
そうすると、1世代が20年ということになります。
計算をしてみると2000年前とは、2000÷20で100世代前ということになります。
1世代前は母、2世代前は祖母、3世代前は曾祖母、4世代前は高祖母、5世代前以上は5代前?…
そう考えるとちょっとは身近に感じられるような…全然感じられないような…

ともあれ2000年も前に茜染の染色技術があり、日本茜が当時の文化の一旦を担っていたことが感慨深いです。

昨年(2021年)の秋、弥生人の顔が一躍注目されたことはご存知でしょうか。
鳥取市青谷町の遺跡から見つかった人骨と骨から採取したDNAをもとに弥生人の顔を復元した胸像がニュースで流れました。

DNAを基にした弥生人の顔の復元は日本で初めてだそうですが、現代の人の顔とそれほど違いがなく、ちょっとびっくりです。胸像で着ている服は当時の衣服を再現しているのでしょうが、その色は薄いピンク色で茜色を連想できます。
国立科学博物館の監修で当時の生活様式を踏まえて復元されているので、茜染の衣服を復元しているのだと個人的には確信しています。

「弥生人の顔」で検索すると、ピンク色っぽい服をきた顔の画像がヒットしますので、よろしければご覧になってみてください。

吉野ヶ里公園

現在の吉野ケ里公園